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2011年4月

don't run away 'cause if it's no ok

仙台拠点に活動してるmonkey majik
実は地震後私が一番に心配したのは彼らだったのですが
被災しながらもちゃんと情報発信して
ボランティアしながら曲まで作っちゃって
いつもいつも、すごいなぁと思いながらツィッター見てる

周りだけでなく、遠く離れた所の人まで笑顔にできるほど強い明るさ、
本当に尊敬します

ブログ(BJ)
http://blaiseplant.syncl.jp/

ツィッター(BJ)
@BlaisePlant

Around the world
http://www.youtube.com/watch?v=14VYJB7iUhg&feature=related

そんでカンパイ!
http://www.youtube.com/watch?v=SKAU9eFBSLM

おし、がんばろー

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さいきんの興味2

たぶん、あずき洗い的なポジションの怪獣もいたのではないかと
ちょこちょこ探ってみた

知識がないので他人からの借用ですあしからず。(解説はwiki より)

うす怪獣モチロン ウルトラマンタロウ
年中餅ばかり食べているので力持ちらしく、タロウに力比べを挑む。タロウに敗れた後はウルトラの父の一喝を受け、自分が臼になって、食べた分の餅をつく羽目になった。

その後、ウルトラの父と南夕子によって月に帰される。

http://next884mat.at.webry.info/200802/article_3.html

宇宙超人スチール ウルトラマンA
地球人が夢中になっているパンダを盗みに来たという宇宙人。異常に発達した人差し指が特徴で、時速60キロ以上の驚異的な速度で走る黒マントの男に化けてパンダに関連するグッズを盗んだだけでなく、中国の動物園から誘拐した本物のパンダをも母星に持ち帰ろうとする

http://www.youtube.com/watch?v=AfRTYkAI_ns

笛吹き怪獣オカリヤン ウルトラマンタロウ
自身の歯から作られたオカリナの音を仲間の呼び声と勘違いし突如現われた怪獣。爆発する能力を持つタンコブと前歯を武器とする。

http://next884mat.at.webry.info/200709/article_2.html

なまけ怪獣ヤメタランス 帰ってきたウルトラマンタロウ
地球侵略を企んでいるササヒラーに嫌々ながら操られてしまっている宇宙生物。空腹になると、自らの意思とは関係なく手当たり次第に周りのものを食べてしまい、無限に巨大化する。また人間のやる気をなくす放射能を放つ能力を持っており、これでウルトラマンやMATまで怠け者にし戦闘を放棄させてしまった。その後、 ウルトラブレスレットによって縮小されウルトラマンの手によって宇宙まで放り投げられて地球を去った。ヤメタランスの放射能で怠け者にされた者は、顔にソバカスができる。ただし、元々怠け者だった者は逆にやる気を出してしまう。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm10084982

善者とも悪者ともつかない、ただちょっといたずら好き、みたいな
妖怪にちかい

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さいきんの興味

初期のSF
小説を読んでいるわけではないけど、雑誌であらすじとかをひたすら読んで想像を膨らましている

版権きれてる映画がいくつかネットで見れる
ジュールヴェルヌ原作のやつ

月世界旅行(1902)
http://www.youtube.com/watch?v=7JDaOOw0MEE

月人がとてもばかっぽい地球人によって粉々に撃退されるシーンなんて、もうまるでなんというか。

海底二万里(1916)
http://www.youtube.com/watch?v=wj1OTau6Mjs

意外とストーリーは複雑
しかも、どの小説にもでてこない結末がおしゃれな感じで付け加えられてる
ちょっと感動

こういうのも面白い

ウルトラマン 第一話(1966)
http://www.youtube.com/watch?v=ZzCZLNPv2jE

宇宙人であるウルトラマンは、ハヤタ隊員への恩だけで何の関わりもない地球を「宇宙怪獣」から守り続けるのか?
宇宙人の魂をもらったハヤタはひたすら地球人の味方なのか?
色々と謎が残る第一話

そして、石原藤夫作のいくつかのシリーズ
特に「ハイウェイ惑星」

無人の星になぜか道路だけはりめぐらされてるんだけど、そこにはその環境に適うよう進化した生物(車輪がついてる)がいるという話らしい
気になりすぎてアマゾンで購入した



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ほんじつの映画

ピュ〜ぴる@ユーロスペース

とにかく涙がぼろぼろ出て、しばらく止まらなくてどうしようかと思ったけど左右の人も泣いていたから、やっぱりみんなにとってそういうものなのだと思う

個人的には
ゲイとか性同一性障害とか、そういう事を何か特権のように主張するものは好きではない
コンプレックスとかトラウマとか、特別な体験とかをことあるごとに引っ張りだしてくるものも好きではない
その背景を知って初めて作品を分かったように見る鑑賞者も好きではない

「それで?」と思ってしまう

でも、彼女の場合、美というものに対するとても高いセンスとこだわりと、
しかもそれをきちんと質の高い作品にする技術を持っているのが分かって
それだけで、安心感というか期待感みたいなのがすぐに生まれた

表現者としてのエネルギーの大きさと強さ
「とにかく、やらなきゃいけないんだよ」と言ってた
「芸術の場合、他の誰からも求められなくてもやらなきゃいけない時がある」と言っていた人を思い出す
家族や近所の人に何と言われても

作るという事
毛糸で何かを編む、鶴を折るという行為
黙々と、頭を空っぽにしてただただやり続ける、根気のいる作業
それをさせる原動力というのは
誰かを想う強い気持ちなんだろうと想像した

だって、恋をしている彼女はとてもエネルギッシュに見えた
そのエネルギーは、ポジティブなものとネガティブなものが、同じ位の強度であるのだろうと思う
嬉しいけど悲しい、愛してるけど憎い
そういう時「もう作るしかねぇ!」って思って、黙々とちくちくちくちくとするのは、とても女性的な行動だと思った
男の人は、恋をすると、その相手をモデルにしたりインスピレーションを受けて作品を作ったりはするけど
その人への愛憎入り交じった感情をぶつけるように作ったりはしないような気がする
(これは勝手な想像なので、ジェンダー系の人とか、どうか怒らないでほしいのだけど)

そして撮り方
ドキュメンタリーは、あまりにプライベートな所にまでカメラを持ち込むけど
そのあやうい所で監督と対象との関係性がよく分かってしまう
このドキュメンタリーの監督と対象は、その辺で
長年の友達としての信頼関係とか、お互いへの気遣いとか、そういう暖かさが見えた
出ている人も撮っている人も、素直に彼女を見守っているのだと感じた

そういえば私も昨日の夜中、どうも落ち着かなくて
「こういう時は手を動かすしかねぇんだな」と思って
手紙を書いたり、紙をちょきちょきぺたぺたとやったりしていた
それが何になるというわけではないけど、人に迷惑をかけずにエネルギーを発散する方法としてずっとやっている事

今度は鶴でも折ろうかな

http://www.p2001.com/index.html

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ただ考えているだけ 2

M氏と高橋源一郎氏の対談に行ってきた

ここの所、芸術家も積極的に言葉を発したり、行動をおこす中
沈黙を守っていたM氏がどんな事を考えていたのか気になっていたけれど
冷静で、これまでの行動の延長線上にある、つまり彼の中で一貫した態度で
なんだかとても納得がいった

ひとことで言えば
「まず反省し、懺悔しよう」

神戸で<なにものかへのレクイエム>が響いていたのを思い出す

20世紀の「政治の季節」に乗り遅れ、だからこそ引きずっている二人は
今の世相をとても冷静に見ていた

詳しくは書かないけれど、
最近起る色んな事にうまく言えない違和感を感じていた私にとっては、かゆいところに手が届いたような感じがした

「がんばれ日本」なんて、まるでオリンピックとかワールドカップみたいだけど(サッカー選手のCM!)
だとしたら、今回の震災から復興へ一連の出来事が、日本という国の威信をかけた政治的行事という事になる

みんなが「被害者」であり、「善意」で動いている事に疑いを持たない
一定数のアジテーターがいる
とても強くてシンプルで、だけど、誰の言葉か分からないいくつかの平板な言葉が溢れている
それらが、肯定派か否定派か、どのような立場をとるのかという選択を迫る

そのような中で、覆い隠され、守られているものもある

ただ色々情報を集めて考えているだけで、はっきりとした言葉にできない私は、これでいいのかしら…と思っていたのだけど
今はこれでいいのかもな、とちょっと思う

話の途中で酸欠になった
座りながら吐きそうになるのは、今日二回目
一度目はアラタニウラノでハンディカムの映像を見ながら
(それはいいとして)

アートフェアを開催中のスパイラルでは、まさに「アートのちから」なるコーナーが設置され
国内外のアーティストからのメッセージ(作品)が掲示されていた
それこそ「アートにできる事」を考えての事なのだろうが
今ここにいる人(多くは美術関係者か、美術品を買いにきたセレブ)が、さらっと描かれた絵付きのメッセージ見て、どんな「ちから」を受けられるのだろう

どこに、どんなメッセージを、どのように伝えるのか
アートにそれをコントロールする事が可能なのか





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