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2011年5月

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またふいに嫌な事を思い出してしまい
そこから頭を切り替えられなくなっている

覚えていたいのにすぐに忘れてしまう事は沢山
忘れたいのにしつこくつきまとう事は少しだけある

この違いはなんだ
入れ替えたい

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なんでこんなことできるんだろうなぁ
ほんと

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-2344.html

点字って、あいうえおとか既存の言語システムに従属してるけど
それを触覚で追うのはなんか不思議な気がする

いつのまにかできるようになったパソコンのブラインドタッチみたいなもので
きっと慣れられるものなのだろうし
ある言語のルールに従ってできあがっている世界とコミュニケートする為には、そのルールに沿った形になるのは仕方ないのだろうけど

それにしてもすごいエネルギーだ
見えない、聞こえない、絶望的な孤独を抱えながら
自分でなにかを発信するところまで行くのだから

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むむむ

太鼓のリズムと音階が言葉のかわりをする部族の話
なんてこった…

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-2315.html

これに関連して思い出したもの

http://www.youtube.com/watch?v=_JmA2ClUvUY

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ほんじつの夢

アメリカ中部の名前も聞いた事のない大学
グラウンドに人が沢山座っていて、正面(朝礼台みたいな所)にビリーが立っている
なにかのイベントのよう
私は数人の日本人と固まって座っている

ビリーは音楽教師で、「これから「アジアの純真」をみんなで少しずつ歌ってみよう」という提案をする
ACのCMみたいに、一人一章節ずつ歌い後でそれをモンタージュしてひとつにするという試み
一番始めはビリー
一応日本語で歌っているが、音楽教師とは思えない程音痴

前半の歌い手はそうそうたる有名歌手
中にミスチルの桜井さんが入っている
周りのアメリカ人の中で背が低いのが目立つが、一人だけ日本人が入っているのを少し誇らしく思う

ビリーが学生にも募り始める
私は、みんな歌詞が曖昧だし音痴なので、かなりイライラしている
前にビリーが来た時、はいはい!と手を上げるが、この大学の生徒でないといけないらしい
だめもとで「U-Penn student!」と言ってみたら、「おーU-Penn、いいよ」と言って採用

朝礼台の前には巨大なダクトのようなものが横たわっていて、私はそれに守られるように立つ
目の前にはダクトしか見えない
少し前に出ると、前の観客からは私の下半身だけ見える恰好になる
ビリーもなぜこれがここにあるのかわかっていない

一応前後長めに歌う
私のパートは、「白のパンダをどれでも全部集めて」という所
メインの所は陽気な踊りもつける
少し長過ぎると言われて止められ、退散

集団の中に帰ると、びっくりするほどしーんとしている
なんだこの空気は、と思いながら特に何も主張しない事にする

「遠すぎて全然聞こえないんだけど」との事
私の歌いっぷりにしらけたわけではなかったのか、と安心
それにしても一曲を50分割くらいしているのだからやたらと時間がかかると文句を言う

寂れた商店街で、喫茶店に入る
入り口の所で少女が三人くらいでダンスの練習をしている
が、
コンタクトゴンゾのようなはげしい動きなのに、不思議な事に音が一切しない
まったくの無音
足の着地をよくよく見ながら、不思議だなぁと思っている

ゆる系哲学者のはにゅー君
「包括的なものと学際的なものとは違うものなんだよね。」とのこと
学際的というのは、オノデラユキとか落合多武とからしい


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気づいたら驚く程時間が経っている

昼間に二人でぱちりっと
だって
嫌な事思い出した

失われてしまったものは、これからどうあがいても越えられない
それは過去の空間に凝固してしまっているから
たぶん、翡翠の中に入った虫みたいに
それは今とか未来とかがある時間の流れとは違う場所にある
とてもよくわかる

古い家に帰りたいという詩は、そのとても幸せだった場所が、夢の中の遠い過去になった時にしか詠めないと書いてあった
これもよくわかる
年齢を重ねると、そういうころころとした化石みたいなものが溜まっていくのだろう
そして、悲しいほど光って見えるのかもしれない

でも実際、私はまだ実感としてよくわかっていないんだと思うし、
他人がそういうきらきらを見る時の、なんともいえないぼやっとした目を見るといらいらする
そうやって遠い目してる今もそのうち過去になるんだぞ、と思う

私はたぶん、写真とかそういうものを現在形のものとして見たいんだと思う
撮った人がどうだったとか、その時がどうだったとかは、それを見る私には全く関係なくて
逆にそういう内輪話を持ち込まれるのが迷惑だとすら思う
これはこれとして、今初めて見る私にとっては新しいものなわけだから

人や記憶が消えても、ものは残ってしまうという事
それを残す事の責任

今はデジタル化社会だから、あまりものに執着はないのかな
逆かな

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Where is here?

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いつもの通学路の、一本脇の道

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上と同じ道 たぶん、保坂和志さんの小説に出てきた所

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いるのは外国人ばかり

Img_0597

もう二度とたどり着けなさそうな路地裏の
戦前から今まで、色んな人が住んでいるアパート
一階は骨董品屋

全て、誰もが一度は通った事のあるような大きな道に並行する脇道にひっそり存在している
近所に住んでいるのに、足を踏み入れた事のない人も多いと思う

でも、大きな道ができる前から変わらず存在し続けているだけの話で、昔はどこもこんな感じだったんだろうし
新しくできた大きな道をデフォルトにして「ひっそり」なんて言うのは失礼な話かもしれない



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P氏

よるべなさMAX

一ヶ月のピークが来たかPMSこのやろうファック!

まぁだいたいそういう時期だという事はわかってます、しってます自分の事だし

しかし私にそんなヒマはない!!

明日は電車に乗って遠くへ行く事にする

ハハハ!

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13日の金曜日

少しだけ実家に帰っていた
群馬は、空気とか水とか花とか匂いとか色とかみずみずしくて、私はとても良いと思う

家族とも仲良くやっている
父との情報共有度がとても高い事に驚く
テレビを見て映画を見てあっというまに二日過ぎ、すんなり帰京

アールブリュット展@埼玉近美
ヘンリーダーガー展@ラフォーレミュージアム

学部のはじめの頃、絵を手じゃなくて頭で考え始めたくらいの時に見て、顔面パンチを食らったような衝撃を受けた
それは単純に、徐々に頭でっかちになりつつある自分へのアンチのように思えたから

今になって見たら、これらが持つ価値というのが、なんだかとても良く分かる気がした
自分が絵を描く立場から心理的に十分に離れた証拠だと思った

美術館に展示されるレベルの作品というのは、美的なクオリティは十分高い
これは、普通の作品でも一緒の事
(アールブリュットだからといって、「下手」とか「子供みたいな絵」とか、そういう事じゃない。)
プラス
性格的な事
まず、私たちが普通いまここの自分の行為を規定する為に依拠する大きな歴史を持たないという事の、想像を越える不安定さがある
そして初めて、代わりに自分自身を今ここだけで規定する為の身体的行為の中の
非合理な決めごと、法則、リズム、規則性ができる

彼らの合理/非合理と、私たちの合理/非合理の間には決定的なズレがある
だから(私たちにとって)非合理な法則に則って成立するイメージは、私たちの想像を越えて、裏切って、脇腹にパンチを食らわしてくる

成長した私は、オッケーオッケー、と平静を装って美術館を出たものの
いつのまにか脇腹に痣ができてたのか
次に別の美術館で見たコンセプチュアルな写真の展示なんてさっぱり面白くないと思ってしまった

こういう機会は定期的にあると、ついつい頭をもたげて歩いてるところにパンチをくれるので助かる

そんな午前を過ごしたあと、午後、「思想史の視覚化」などという
頭が1トンくらいになるものを考えはじめた
やはり私には歴史が必要で、
というかそうできるのだから、手を動かすのは本当にたまにで良い
パンツを脱ぐのは、それがたまにだから高揚するので、普段から素っ裸で歩いていても意味が無い
というバランス感覚のある人みたいにさっぱりと言えるようになりました

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ほんじつの映画

「Shoah」1985
おすすめするとかではないです

ただ英語字幕付きをYoutubeで発見してしまったのです
上映時間9時間30分…

http://www.youtube.com/watch?v=5W0WcZu9O74

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さいきんの本

6時間以上に及ぶMTGを終え、さすがに憔悴してしまった
今夏の展覧会案、春からごろごろと変わってやっと落ち着いた
地震後の切実な、切迫した感覚はもうない

案を考える作業を続けていて、だんだん自分のしたい事が分かってきた
これは個人的な閾を越えないので、自分だけでやれば良い
そのうちに、いやいや、近いうちにはじめる

Img_0561

今日は次の事に没入できそうにないので、最近アマゾンで買った『なんクリ』を読み始める
1981年出版、中古のすばらしい焼け具合
内容と形式の「ポストモダン」さを考えるとこの古色はとてもやるせない感じがするけれど、これも本の運命

しかしバブルってすごい
流行は巡るというけれど、バブル期のファッションだけはまた流行る事はないんじゃないかと思う

メタメタ推理小説、清涼院流水の『コズミック』も中古で買ってしまった
709頁、200円
すばらしいコスパ
でも読み切る暇はない


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